車輪について、あと風化しないものについて

 先日の記事を書いてから、本棚から出して、用が済んだら(引用したら)ベッドの上に置いて、翌日からそこと椅子の間を何回か往復した(わたしにはモノを仕舞ってあった場所に片づけず、片づけようという気がおきるまで[その気がおきるまでだいたい一週間以上かかります]とりあえずそのままにしておく癖があります。ものぐさなのです)『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(CCCメディアハウス ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール著、工藤妙子訳)を二、三ページぐらい読みました。

 面白そうでありますが(そう思ったから、結構値段のはったはずのこの本を買ったのです。題名と装丁がマッチしており[何と呼ばれているかは知りませんが、紙の側面(、、)が青く塗装されています]皮肉というか、ロックな精神というか[ロックという言葉にぴったりくる訳はなんだろうと考えたことがありますが、「反骨」がぴったりきますね]を感じられて、それを所持していればカッコいいと思ったことも、購入の動機のひとつでした)、難しそうです。これからこの分厚い書物(四百七十ページぐらいありました! 重さは一キログラムに満たないくらいです。たぶん)を最後まで読まねばならない(読まねばならないということもないのでしょうが、モッタイナイので、読む苦痛と快感を比較して後者が勝れば、最後まで読むことでしょう。当たり前ですが)(わたしはけっこう積ん読をする方です。積ん読、って名詞でしょうか)のだと思うと、少し憂鬱になります。

 その前書き(?)らしきところに、これはウンベルト・エーコの言葉でもジャン=クロード・カリエールの言葉でもなさそうですが、「車輪は発明されてからずっと車輪のままだから、書物もきっと生き残るだろう」という旨のことが書いてありました。

 車輪について「なるほどなあ」と思いました。

 けっこう昔から戦車(馬車みたいなもので、チャリオットとか言ったと思います)があったそうで、たしか古代ローマ時代ぐらいからあったのではなかったでしょうか(気が向いたら調べます)。だとすると、千年とか、二千年とか、車輪はずっと車輪としてあります。すごいですね。
 (戦車についてはその本に書いてあったわけではなく、わたしの記憶をもとに書いているので、間違っていても、エーコらの責任ではありませんので、あしからず)

 発明されてからずっとあるものを他に考えてみると、戦争が思いつきました。戦車から連想したのでしょう。
 あと、音楽と、絵画もそうです。もちろん書物とか、文芸とかもです。芸術関係はけっこう残ってますね。
 何千年もあるのですから、芸術と戦争は時代の流れに風化しない強いものなのでしょう。

 車輪と書物はモノです。戦争と、音楽と、絵画と、文芸はモノではありません。

 これらは全て人間が作ったものです。あるいは、人間が生まれたから生まれたものです。(戦争する生き物とか、歌を歌う生き物はいるかもしれませんが、わたしは知りません。知っている方がいましたら、興味があるので教えてください)


 追伸

 一つのセンテンスの中に、思いついたままに違うセンテンスを挿入しまくるというわたしの文体を読みやすくするため、色を変えてみたり、書体を変えてみたりしましたが、どっちみち読みにくいですね。
 これはもうこの文体自体がどうしようもなく読みにくいものであるということでしょう。

 次に記事を書くときに覚えていたら、なるべく挿入せずにセンテンスを独立させて書くことを試してみようと思います。

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